【五白】0909
「長崎?」
新年明けてすぐ。一般的には受験シーズンも終盤戦に入った頃だ。今年も白鳥沢は春高への切符を烏野に譲った。悔しいと言って静かに泣いた恋人を一晩宥めたのも、もう二ヶ月近く前になる。
「本当はもう少し前からスカウトもらってたんですけど、春高予選もあったし、遠いしなあと思って……悩んでて」
それはそうだ。ここは宮城、東北。行き先は長崎、九州。電車一本で移動できる場所でもなく、そうやすやすと会える距離でもない。とおいなあ。白布はそれだけを思った。
「でも、行きたいと思ったんだろ」
「……はい。結局そこしか話は来なかったし、一応一般受験の対策もしてはいたんですけど」
「推薦で行けそうなのか?」
「ああ、それは、はい。監督も申し分ない大学だろうって」
それならば、白布がなにかを言うことはない。恋人、五色は視線を向けたり向けなかったりと泳がせている。
「お前は、別に止めてほしいわけでも背中押してほしいわけでもないんだろ。決めて、報告するならはっきりとそうしろ」
話の入りは「長崎に行こうかなって思って」だった。その時点で白布は、ほんの少し機嫌を損ねていた。はっきりしねえなあ、思わず舌打ちをしそうになった。
「……遠くになりますけど、忘れないでいてくれますか」
下げた眉。遠くに行くことが不安なわけではないとわかっていた。自分の道は自分で決めるのがエースだろうと、先を行く先輩の背中を見ていたなら揺るがないはずだ。
言いよどむ要因、はっきりしない原因は自分だ。宮城に住みまだ大学生活の続く恋人を気にかけて、離れがたいと思っているのだろう。
「お前が恋人だと思ってくれてるならな」
「当たり前です! 俺は白布さんのこと、好きなんですから……」
白布だってそうだ。恋をするなんて思ってもいなかった相手を好きになった。告白は五色からで、それをしてきたのは白布の大学合格が決まった日だった。五色に恋をしていると気がついたのは受験当日からみて数日前のことだったが、慌てるような性格でもないし、なにも影響はなかった。そんな始まりだったから告白されたことには驚いたし、素直ではないと言われがちな白布がふたつ返事で付き合うことを了承したのに一番驚いたのは五色本人だった。
付き合い始めてもうすぐ一年になる。白布は医学部生として忙しい日々を過ごしていたし、五色は五色で強豪バレー部の主将としてチームを率いていて。わずかに合う休みだけが逢瀬の日で、ほとんどの会話は電話かメールだった。先日五色が携帯をスマートフォンに変えてからはチャットアプリも連絡手段になったが。考えてみればそれも遠くへ行ってしまう伏線だったのかもしれない。
だから、というわけではないが二人はまだ清い関係だ。なんならキスすらしたことがなく、言い出しすらしない五色はそれを知らないのではないかと思ってしまうほど。それになにかを思うことはないが、どこか物足りないとは思っていた。相反する思考。白布はなにも言わず、隣に座る五色にもたれかかる。
五色は、そんな白布の腰に腕を回した。五色のほうが白布よりも背が高く、体格もいい。腕の中に収まるのは、難しくなかった。考えてもいなかった思考がまた湧き上がる。五色の前では、どうしてか、そうして唐突な感情が湧いてしまうようになっているのかもしれない。
「なあ五色」
「はい」
「……長崎行く前にさ、抱いてくんね?」
腰に回った腕が、音もなく白布を締め付ける。なんでもないタイミングならば痛い苦しいと文句を言っていただろう。だけれど、今はその苦しさが心地よかった。そのまま、引き寄せられる。促されるように五色の足の上に乗った。普段は見上げることしかできない顔を見下ろして、目を細める。
「好きです、白布さん」
どこか、覚悟をしたようなしっかりとした瞳が近距離で白布を見つめる。一歩、進むのは今日だった。白布の言葉は少しだけ段階を飛び越えてしまっただろうが、それでもここからが一歩だったのだ。
「うん……、俺も、好き」
髪に五色の指が触れて、そっと、引き寄せられる。白布もまた、五色の首に腕を回した。ゆっくりと近づく互いの顔。そして触れる。一度、二度。三度目は離れがたくて触れたまま何度か角度を変えた。体重をかけても潰れるような鍛え方をしていない五色の体。白布の身を腕の中に包んだまま、きつく抱きしめる。
「ん、ン……っ」
キスをしているために呼吸がしづらいにもかかわらず、締め付けるように抱きしめられては苦しくてうめき声だって出る。耳に届いたそれが甘い気がするのは、きっと気のせい。
「しらぶ、さん」
唇が触れるまま、名を呼ばれる。いつもより低い声が、唇に、背に、腰に響く。興奮、していた。
「つとむ、好き」
興奮のまま、初めて五色の下の名を呼んだ。すぐに唇を塞がれてしまったが、恋人の可愛い照れ隠しに喜ばない者はいないだろう。
遠くへ、夢を追いに行く恋人。そのぬくもりを忘れぬよう、白布は五色の体をしっかりと抱きしめひっそりと、一雫こぼした。