【HQプチホラー】1005
・異界系
まっくらやみ。部室のドアを開けた先がそうなっているほど今の時間は遅くない。瞬きを二度して、後ろを振り返る。
「なに?」
「俺も知らねえよ……」
振り返った先の二口は、眉を寄せ目を細めて肩に下げたエナメルバッグを提げ直していた。驚いてずり落ちたのだろう。驚くのも無理はない。外は、こんな状態なのだから。
その後ろにいる青根も目を見開いて驚いているし、黄金川も、吹上も、小原だって驚いている。どうやらその後ろに作並がいるものの、巨人たちによって見えていないようだ。
「いつの間に外、こんなにゲームみたいな世界になったんスかね!?」
「は?」
黄金川の感想に声を上げたのは小原だ。
「いやいや、どう見たって桜並木だろ」
「え、木材屋じゃないんですか」
後方からの声に、二口と同じ顔になっている自信があった。なにせ、外はまっくらやみのだ。黄金川のはよくわからないが、小原の桜並木と吹上の木材屋が見えるわけがない。そもそも十月に桜並木はおかしい。
「二口と青根はなにが見えるの」
「体育館」
「……俺もだ」
おかしい。二口と青根が同じなのはどうしてなのかもわからない。首を傾げている間に小原が後ろから作並を呼んで、外を見せていた。今までの話からなにが見えるかがわからないことが推察できたからか、作並の腕を掴んだままだ。
「僕は家です。自分の」
「家……」
なぜ、なぜ誰も暗闇ではないんだろう。瞬きが、止まらない。人間は自然と瞬きをしているものだが普段は自然すぎて、していることを意識するようなものではないのに、今は明確に瞬きをしているとわかる。動揺していることも。
「俺、部活前に春に撮った桜の写真見てさ、さっき思い出したようにまた見たいなって思ってたんだよな……、関係あるかな」
なにかを考察したらしき小原が右手を上げて言った。左手は作並の腕を掴んだままだ。それに続くように作並は「僕はすぐ帰りたいと思ってて」と続けたし、黄金川は「国見から今やってるっていうゲームの写真届いてたんでさっき見たっす!」と言った。共通しているのは今、見たものや行きたいと思った場所ということ。
となれば体育館が見えている二口と青根はまだバレーがしたいと思っているのだろうし、吹上は工作でもしたいのだろうか。じゃあ、自分の見える光景は一体。
「女川は?」
二口が問うてきた。あだ名で呼ぶことが多い彼が、それで呼ばなかった。普段のノリでいていい空間ではないことを、感じているのかもしれない。感じなくとも、皆の声で、自分の目で理解できる。自分がおかしいことだって、理解できるのだから。
「……まっくらやみ。なにも、ない」
「なにも……?」
肩にかけていたバッグを下ろす。ドサリと音を立てたそれに一度視線をくれてやってから、部室の外に一歩、足を踏み出す。
「お、おい、女川……!」
闇に、足を。なにもない空間に、一歩。普段ならば硬い感触のあるそこには、なにもなかった。本当になにもなくて、体がバランスを崩した。
「わっ」
「女川!」
感覚は、落ちる。階段を踏み外したときに近い浮遊感。それから腕に強い力。その力によって後ろに引っ張られ、部室の中に戻された。振り返ればそこには腕を掴んだままの青根がいた。二口も腕を掴もうとしていたのか、手を伸ばしている。
「わ、悪い、青根」
「……無茶をするな」
体勢を整え、改めて青根に礼を言った。無茶をした気はない。外に出られなければ家に帰ることができないのだから。しかしどうして暗闇なのだろう。別に行きたかったわけでも、見たわけでもない。なぜ。急激に体が冷えていくのがわかる。なぜ。まるで自分にはなにもないと言われているようだ。
「……寒い」
「っ!? お前らジャージっ、女川をジャージで包め!」
二口の掛け声で皆がカバンをおろし、ジャージの上を脱いだ。震える体を包みこんで、吹上がそれらごと女川の体を抱きしめた。
「外、行くんでしょう。女川さんは俺が抱えておきます」
「吹上」
「……俺の見える景色はいつもの、木工屋です。先につながっているものがあるかもわかりません。それなら小原さんや、なにが見えてるかわからないけど黄金川が行ったほうがいい」
冷えていく体を抱える後輩が、冷静な声で言う。だけれど気づいていた。彼の手も、少し震えていることに。
「……いや、一旦俺と青根が出る」
「二口……?」
「この場を離れて悪いとは思うけど、小原とコガネに行かせてもバラける可能性があるだろ。体育館も先があるかはわかんねえけど、少なくとも一マップは進めるだろ」
床があるだけマシなんだろうか。寒さに震える状態では行くなと止めることはできない。自分が外に出られない以上、他の誰かが現状について確認しなければいけないのは当然のことだから。
「じゃあ、体育館から出られなかったら俺と、黄金川が行こう。行けるところがリンクしてないかどうかも確認したい」
「わかった。青根、いいな」
青根が頷いたのがわかった。もう立っていられなくて床に座り込んでしまったが、吹上も同じように床に座り、女川の手を握ってくれている。視界の先で、二口と青根がドアの先を覗き込んで、足を踏み出している。今度は、床があるようだ。相変わらず真っ暗闇だが、彼らには体育館が見えているのだろう。
「ふたくち、あおね……」
声にも力が入らない。こんなこと、あるはずがないのに。
「きをつけて」
「……バーカ、おまえは自分の身体のこと心配しとけ」
べえ、と舌を出した二口が見える。けれどすぐに、なにも見えなくなった。隣から心配そうな声が聞こえたが、意識ごと、ぷつりと途絶えた。