【川瀬見】1004
・社会人。たくさん捏造
ふたつの部屋を二人で使っていた。瀬見のギター用の防音室を川西が使うようになったので、アンプにつないだギターは音量を絞って自室で使うしかなくなっていた。しかし先日、関係を変えた。防音室の住人は瀬見の恋人になり、眠るときは共寝をねだったから彼が自室に帰るのは着替えのときくらい。
そもそも防音室は寝室として使う気がなかったので、設備を構わずに選んだ。その代わり寝室とする防音設備のない部屋には収納が豊富だった。ウォークインクローゼットと、押入れがひとつ。押入れはリビングに面した壁側にあるためリビングには凹凸があるものの、窓側にあるため違和感もなく。瀬見は所有している服が多いこともあり収納が多い分には嬉しいものの、そこまでの容量を使用しているわけではない。空いているのだ。だから、なにかを入れることに制約はなく。
「防音室は防音室として使いましょうよ」
まだほんの少し、川西がいつまでもここにいてくれるか不安だった。だから自分のためのことは口にしなかったし、ギターの練習はスタジオを借りてすれば良かったので。
「おまえの部屋だろ」
リビングに置いた安物のソファーに、そのギターを立てかけている。家で弾くことはないため、ケースに入れたままにしてある。家で出すのは手入れをするときくらいのものだ。
「うーん、でも俺瀬見さんの部屋で寝てるし、それ以外では防音室として使ってはいますけど」
「それ以外?」
「あんたコッチの部屋絶対入ってこないから、全然気づいてないでしょ。ま、それするの瀬見さんいない時間にしてるから音でバレることないし」
川西の言う言葉が、いまいち理解できなかった。瀬見は眉を寄せる。防音室に入ることがないのは、今は川西の部屋だからだ。恋人になる前はもちろん、なってからだって個々のプライベートは守られるべきだと思っている。眠るのだって川西がそうしたくないなら引く気であった。なにも言わず、彼もそれを望んでいるかのようにともに夜を過ごしてくれるから甘えているだけだ。
「こっちきて」
腰掛けていたソファーから立ち上がった川西が、瀬見に手を伸ばした。自然とその手を取り、瀬見も立ち上がる。抱きしめ合ったり触れ合ったりはするものの、手をつなぐことなどそうそうないから、少しだけ緊張してしまう。手汗をかいていないか心配になる。
川西が向かったのは予想どおり彼の部屋、防音室だ。はじめのうちは洗濯物を運ぶなどで入ることもあったが、しばらくして川西からそこまで世話しなくてもいいと言われ、入ることはなくなった。今思えば片想いゆえの遠慮だったのだろう。それまでの間、川西は家具を買うことなく段ボールに私物を入れて生活をしていたから、定期的に家具を買ったか確認していたが、最後まで買ったと返事はなかった。だからこそ、出ていく気があるのだろうと不安ばかり募らせていた。
思えば、久方ぶりの防音室だ。面白みのない四角い部屋だが、作りたい音楽を作るのも、悩んだのもその部屋の中だった。この部屋に引っ越してきて五年目、最初の三年しか使っていないにもかかわらず、思い出は多い。中は、内見時の記憶に近いこざっぱりとした状況。川西を入れるに当たって置いていた機材置き場を撤去してしまったから。ただ、こざっぱりとした空間に見慣れた相棒と同じようなフォルムの物体が鎮座していた。
「……ベース?」
瀬見の相棒は六弦のエレキギターだ。現在のそれは三代目で、曲により二代目と交換して使用している。正面に据えられているのは薄いパープルボディの四弦。傍らに置かれた箱はチューニング用のチューナーだろうか。
「本格的な機材までは買えてないんですけど」
「いや、そんなのどうでも……え、ベース?」
「そうですよ。バンドマンでしょ、楽器に自信持たなくてどうするんですか」
瀬見の疑問形はその楽器がどうこうではなく、なぜそこにあるのか、ということだ。正面の四弦を指さしたあと川西を指差せば「ああ」と意図を察してくれた。
「瀬見さんと同じ世界にいたくて。同じ食関係の仕事してるからそれ系の話はわかりあえるけど、それじゃ物足りなくなって」
繋いだ手はそのままに、川西が歩き出したから瀬見もそれに続いた。なにも言わずにベースの前に立つと、瀬見の手を握る手の、力を抜いた。離せということだろう。瀬見が手を離せば、川西はそのまま正面のベースを手に取った。瀬見のギターと違いケースに入れていないそれ。外に出すことはなく、ここだけで音を響かせるそれ。
「まだ一年だし、初心者ですけど」
ベースは、主旋律を奏でるものではない。だけどできないわけではないし、それを意図して書かれた曲だってある。リズム隊に含まれるそのパートも瀬見は大切にして、いつも曲を書いていた。
川西は、ベースに刺されたヘッドホンアンプの電源を入れた。アンプに刺さったコードはそばのスピーカーにつながっている。その場に座った川西が弦を弾けば、低温の心地よい音が防音室に響く。それから聞いたことのある旋律、瀬見の書いた曲だ。その場に
スラップ奏法と呼ばれる弾き方で音を奏でる川西の指が、初心者のそれではないと思った。一年といっていたが、かなりのペースで練習をしていたのだろう。瀬見がいないときといっていたから、出勤後や平日シフトの日に練習をしていたのだと思われるが、それでも。
いつも鳴らす音とは違う自分の曲。たどたどしくて詰まることもあるが、楽譜もなしに弾けるほど練習しているなど。そもそも、有名曲のように一般人が見れる楽譜などない。いわゆる耳コピで、手探りで奏でてくれていることに愛を感じる。愛おしくて抱きしめたい。でも演奏を邪魔するのは音楽に携わるものとしてできるわけがない。
「……っと、まだまだこんなもんですけど」
一息ついてベースをおろした川西に、瀬見は勢いよく抱きついた。勢いよく行き過ぎて川西の背面にある壁にぶつかってしまったが。
「おまえ俺のこと好きすぎだろ……っ!」
「はは、好きですよ」
抱きしめれば抱きしめ返してくれる腕が、指が、先程まで自分の曲を弾いてくれていたのだから、いつもよりも幸福感が増しているような気がした。ただ、この幸福をどうやって言葉にしていいかがわからない。だから瀬見は川西を抱きしめて呻くことしかできなくて。
「いつか瀬見さんといっしょに弾きたいですね」
「うん……うん、俺もそう思う」
「だから、もっとそばで瀬見さんがギター弾いてるの見たいんですよ。俺も一緒に練習したいし。俺の荷物置いてていいならこのままでもいいんですけど」
「……クローゼット使えよ。どうせ家具買わねえんだろ」
「はい。俺、許されてるなら瀬見さんの空間に入りたいんで」
「許してるに決まってんだろ! もうおまえこっちで寝るのも禁止だからな!」
「もちろん、瀬見さんの隣でしか寝ませんよ」
願うことをしてこなかったのは、縛りたくなかったからだ。重いと、思われたくなかった。だが、川西のベースを聞いてそんな考えいらなかったのだと思う。重いくらいでちょうどいい相手なのだと、知ってしまったから。
「今度ベッド買いに行こ。二人で寝ても、太一が足伸ばしても余裕あるでかいやつ」
「探すの大変そー」
川西はそう言うが、大変なことなどきっとない。二人がこれからもそばにいるために大切な儀式のようなものだと、思うから。
ひとつのベッドで、二人で眠る。そしていつか、二人で同じ曲を奏でられる日がきたならば、今よりももっと大きな幸福に埋もれることができるのだろう。瀬見はその日を想いながら川西の体をもう一度、強く抱きしめた。