【川瀬見】0915

・2025年の川瀬見
・キュマガネタからの妄想+職業の捏造
・両片思い

 宮城に帰ってきたのは時の運もあったが、その一言が決め手だったと思う。
「家事折半でよかったらウチ来いよ!」
 未だに繋がりがあるのは高校の部活の、あの頃のメンバーばかり。特にタメで同じようにレギュラーだった白布と、世話焼き代表の瀬見さんだった。
 牛島さんは連絡をマメにするほうではなくて、でも四季折々決まった時期の連絡は欠かさない。大平さんからは家族の話がいろんな行事のたびに送られてくるし、山形さんは相変わらずスマホになってもすぐ手元からなくなるらしくて返信のラグがすごい。
 五色は活躍の報せがしょっちゅう来るし、天童さんからは住所変えるのやめろと文句が来る。思えばそれも理由のひとつにはなるかもしれない。いや、言い訳のひとつとも言う。

「ただいまー」
「おー、おかえりー」
 こうして帰宅の挨拶をするのも慣れたものだ。およそ二年のときをこの部屋で過ごしているから。給料の良い遅番シフトがメインの俺が帰宅するのは瀬見さんよりも後だ。病院で働いていると聞いたときには瀬見さんも医学部だったっけと記憶を呼び覚ましたもんだけど、公務員として栄養士をやってることを聞いたときは俺と違って地に足つけて生活してんだなって思った。その後すぐバンドやっててその資金のために安定職を選んだって話も聞いて、やっぱり瀬見さんだなって、そんなことも思った。
 瀬見さんはちょっとだけセンスが常人とは違う。俺はファッションとかそこまで興味ないし、姉ちゃんに勧められる服を参考にして変じゃないものを着てる程度だからなにもいえないんだけど。奇抜代表の天童さんに「英太くんの私服変だね」なんてストレートに言われたら困惑してもおかしくない。そんな私服が変な瀬見さんは、料理がめちゃくちゃ上手いのだ。
 家に帰ってきて香る匂い。それだけで一回腹いっぱいになる。それからリビングに運んでもらった料理を見て、手を洗って準備万端の俺は、もう一度腹いっぱいになる。ただ、それらはあくまでも感覚。いただきます、と手を合わせてから口に運ぶ本番は、想像を何倍も超えてくる。
「今日も美味いっす」
「へへ、やりぃ。太一には負けられねえからな!」
 料理を口にする俺の正面に座る瀬見さんは、いつも変わらない笑顔を俺に向けてくれる。あれからいくつも年を取ってるのに、あの頃と変わらない。
 瀬見さんは栄養士だからか、宮城に帰ってきて老舗でもなければ変哲もない和菓子屋で働き始めた俺に対抗心を燃やすようになったと言ったのは大平さんだ。娘さんを連れて瀬見さんの家に来る先輩を、月に一回迎え入れるのにも慣れた。それがあるのは奥さんの休みの日だそうで、いい旦那さんだなあなんて娘さんに髪引っ張られながら思ったりして。
 自分もそうなれるんだろうか。そう考えたのは一日目、いや、多分十分くらいのもんだ。なにせ俺に結婚する予定がないからだ。隣で娘さんと笑い合う瀬見さんを見てたら、この人はそうじゃないんだろうなと隠れてため息をついたのも何度か。
 毎日俺の感想を聞いて笑う瀬見さんが、俺はずっと好きだったから。もう忘れようと思って東京に出たのに、忘れることもできなくてそのうえこうして隣で生きている。ここに来るときは絶対に言わない顔に出さない、態度にも出さないと固く誓って、少ない荷物の送付状にこの家の住所と瀬見さんの名前を書いた。
「太一は毎日、夜遅くまで頑張ってるからなあ」
「瀬見さんだって毎日仕事あるのに晩飯まで、ありがとうございます」
 定期的に俺のことを褒めてくれる瀬見さん。頑張ってるのは瀬見さんもなのに、俺が同じように瀬見さんを褒めて、感謝を伝えても苦笑いを浮かべるだけ。世話焼きもここまで来ると病気かなんかなんじゃないかなって、心配になる。
 そうだ、病気といえば。俺は飯を食う手を止めないままに口を開いた。
「あ、そういえば」
「ん?」
「二号店の店長が病気で倒れたらしくって、うちからヘルプ出すことになったんです」
 それは今日言われたことだ。それだけ俺が店に貢献できてて、認めてもらえてるってことなんだなって少し嬉しくなった。今は、この家の家賃も払わず光熱費を少しと食費を折半。余った給料は、いつか瀬見さんに返そうと貯めている。なにがいいだろうかと考えて、楽器屋を覗いてもっと頑張らないとと思ったのは数ヶ月前の話だ。
「二号店? それって、東京の……?」
 その店については瀬見さんも知っている。なにせ、俺がこっちに来るとき、土産として買ってきたのが二号店の和菓子だった。常連、ってほどではないにせよよく行ってた店で、こっちでの就職先も二号店の店長さんからの勧め、半コネみたいなもんだった。
「そうです、俺が前住んでた家の近所の」
「おまえ、行くの?」
 そう言った瀬見さんの目はどこか寂しそうにも、つらそうにも見えた。まるで俺が行くことを拒んでいるような。一人暮らしに戻るのが嫌なんだろうか。
 俺がなにも言わないで言葉を選んでいたら、正面にいた瀬見さんは俺の隣まで来た。寂しそうな目はそのままに。
「なあ、……太一、でてくの」
「瀬見さ、」
「……いや、止める権利なんて俺には……」
 その目、その言葉。俺の心の奥底に押し込んだ感情が、呼び起こされるような感覚。言わないと、誓ってここにきた。なにがあっても言うつもりは、なかった。けど。
「俺がいなくなるの、嫌なんですか?」
 瀬見さんはなにも言わなかった。代わりに、俺が着てたオーバーサイズのパーカーの裾を、静かに握った。
「どうして?」
「……や、そうじゃなくて」
「教えてくれないとわかんないっすよ」
 師匠仕込みのゲスは、多分外れてない。だけど、俺は言わないと決めてるわけで。相手の感情を知らないままに突っ走るみたいな育ち方はしてないせいもあって、俺は慎重だ。日和ってるとも言う。自爆して瀬見さんの隣にいられなくなるのは嫌だっていう、俺のわがままだ。
「……いかないで」
「うん」
「俺のそばから、もう離れんなよ」
 寂しそうな目は、一転して俺を睨むように刺すような視線に変わった。コートの中と同じ目に、俺は一瞬怯んだ。けどすぐに、読みが外れてないことを察して、俺のパーカーを掴む瀬見さんの手に、触れた。
「どこにも行きませんよ」
「……太一」
「俺は、これからもずっと瀬見さんの隣にいていいんすか」
「いい、いて。太一」
 こんなことならここに来る前に告っちゃえばよかったなとか、なんで早く言ってくれなかったんだとか、思うことはたくさんある。それは全部今更。お互い言えないままこうして年を重ねて、もう三十なのに、本当に言いたいことって簡単に言えないんだなって理解することになって。
 でも、なにをするにも遅いことなんてないってことも理解した。三十になったってこうして一番好きな人に触れられるんだから。
 ゆっくりと顔を近づけたら、瀬見さんは目を閉じてくれた。少しだけ、震える手。怖がらなくてもいいんですよ。そう伝えるために、俺は瀬見さんの唇に触れた。俺も瀬見さんもいい大人だから、子どもみたいに触れるだけじゃ満足できるわけない。伸ばされた舌にさっきまで食べてたきんぴらのことを一瞬、思い出したけど、止まらなかった。差し出された舌に招かれるように差し出して絡め合わせる。こぼれる吐息がやらしくて、思わずいらない欲が出てきそうになる。
「ぁ、……たいち」
 濡れる唇もまた、たまらなく魅力的で困る。そこだけじゃなくて、全部。ぜんぶが魅力的なんだ。
「せみさん。俺のこと、ぜったい離さないで」

*****

「は? 東京行くのはおかみさん?」
「ええ、はい。二号店の店長は製造の主力なんで、作れるおかみさんが」
 あんなに切なそうな目をしていた瀬見さんは、寝る前にはすっかりいつもの様子に戻って一緒に寝るよな、なんて言って瀬見さんのベッドに引っ張られた。ちなみに、瀬見さんの家はギターの練習用に空き部屋がひとつあったから、俺はその部屋に住まわせてもらってる。置いてあるのは布団と少しの荷物。家具なんてなくて荷物は段ボールに入れたままだから、瀬見さんはいつ出ていくかわからないって不安だったらしい。かわいいくて仕方がない。
「じゃあ、なんであんな……含みある言い方したんだよ」
「別にそんなつもりは……、ただ、おかみさんの代わりに、俺が製造のメイン担当になるっぽくて、給料アップっす」
 そう言って、いえい、とピースをひとつ。認めてもらえる嬉しさと同時に、瀬見さんのための貯金が捗りそうだと思っていたことを伝えれば、金なんていらねえけど、とまた苦笑いを浮かべられた。
「恋人に貢いだらだめ?」
 俺と違って表情が豊かな瀬見さんは、一瞬で顔を真っ赤にして視線を泳がせる。一生大切にしますね、と小さく囁いて、俺は瀬見さんの体を腕の中に閉じ込めた。

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